070-6693-1565
〒530-0041 大阪府大阪市北区天神橋2-3-10 サンハイム南森町607
営業時間 / 11:00~18:00(最終受付)※完全予約制 定休日 / 不定休
ADHDの私が、トップクラスの成績を取ったヒケツ2(大阪気功整体)
気功整体とは まったく関係ないのですが、きのうの記事、反響が大きかったです笑
「なんじゃそりゃ!?」
ですよね。
「進研模試 全国2位で、宿題するのがイヤだったとか、日本史をやったことがないとか
なんですか!?」
まあ、反対に
「目からウロコでした!
私も、そうしていれば 成績があがったのに!!」
という声も、いただいております。
ちょっと調子にのりまして、シリーズで書いてまいりますね♪
本業の気功整体とは関係ない、と書きましたが、根本の姿勢は同じ、なのかもしれないです。
つまり、目的、があるのです。
その目的にそって、できることをすべて やるのです。
余計なことは、いっさい、しません。
たとえば、私の気功の目的は、
「人間が自分たちで、自分たちの体を整えることができるようにする。
不調の原因もわかるし、どうしたら治るのか対処法もわかる、そういう状態にもっていきたい。
さらには、体にいい製品、日常品とかからだを治すものとか、治す体操とかを発見して広めたい」
ということです。
今までの方法で、これができているものを最初に研究しまして、
どうやら できていないようだ、と思いましたら
その ギャップをうめるために 研究しました。
(途上です)
さて、話を勉強に戻しますが、
要は、試験ができればいい、という目標を立てます。
勉強したいのではないですし、少しでも知識を深めたい、のでもないです。
試験ができるようになる、ということが目標です。
そのためには、当然ですが、過去の試験問題を研究します。
また、どういうものが出るのか、も 研究します。
このゴールは、ぜったい 外せません。
私の学生時代は特殊な時代で、岡山県の高校入試は、英語と国語と数学、しかなかったのです。
(今は五教科、あります)
ですので、英語と国語と数学、しか やりませんでした。
社会と理科は、一夜漬け以外、勉強したことがないです。
〇おそらく、私は、小学校で習う 県名、県庁所在地、山や川の名前、は、あまり知りません。
まあ、今の時代、グーグルがありますので、知っていなくても不自由はないです。
ゴールである当時の岡山県の入試問題を中学校1年生でみました。
「うわ・・・こんなにできるようにならなくては いけないのだな」
国語は 一夜にしてできませんので、
作戦をたてました。
「1日か2日に一冊、本を読もう」
結局は、1週間に1冊、のペースになりましたが、読みました。
英語は、NHKの英会話を聴きました。
数学は、塾へ行きました。
それで、中学校3年生のときに、入りたかった高校の校門前で写真を撮り、
イメトレしましたら、入れました。
^^^^
高校では、入学してまもなく、
ゴールを「上智大学」に決めました。
おそらく前世からのご縁で、キリスト教の大学でザビエルが始めた、ということが気に入ったのでした。
当時、わたしは岡山朝日高校で 高校内で50位くらいでした。
「これでは、とうてい 入れないぞ」
1977年当時の上智大学は、偏差値がものすごく高く、
地方の公立高校の生徒は ほとんど入れていない、ということが判明しました。
入試は 国語、英語、と、世界史か日本史のどちらか、です。
私は中学校時代、日本史はほとんど やっていませんので、
どうせでしたら、まったく初めての世界史にしよう、
そうすれば 土台がなくても大丈夫、と思ったのでした。
また、作戦を立てまして、
〇日本語(国語)の本を1週間に1冊読むのは継続する
〇簡単な英語の本を 2週間に1冊、読む
〇英単語を、片っぱしから覚える
〇世界史は、習ったことはその日のうちに完全に覚えてしまう
ということに、しました。
要は、試験というのは、〇〇について、知っているか?
ということを聞かれますので、
世界史の全体的な流れであるとか、
このとき、こんなことがあったので世界史が動いた、とかいったことは
別に、どうでもよくて
何年に誰が何をしたか
ということだけを、覚えるようにしました。
きのう申しましたように、シャレにしまして、物語にしまして、覚えたのです。
そうしましたら、2年もしましたら、かなり
成績が上がってきたのでした。
(高校2年生のときです)
と、申しましても、私は 【国語、社会、英語】以外の教科は
一夜漬け以外、やりませんでしたので、
数学、理科(物理、化学、生物)、などは、ほどんど毎回、0点とかヒトケタでした。
全体的な通知表は、あまり良くなかったのでした。
しかし、岡山朝日高校は、当時まだ、バンカラな校風が残っていまして、
勉強は、したい人がすればいい
とか
中間、期末試験はものすごく難しくして、平均点が20点
とかいいます
不思議なことがありましたので、
自分が0点とか9点、くらいでも
そんなに目立たなく、補講もめったに受けなくて良かったのでした(これが、非常にさいわいしました)
高校3年生になり、いよいよ【国語、英語、社会(日本史か世界史のどちらか)】だけで
成績がつくようになりましたら、
なんと、
自分の実力はトップクラスになっていた、ということが判明しました!
私は、みんなから「あの人、アホだよ」と思われていました(数学の時間、わかりません、わかりませんばかり言っていたので)
ので、
進研模試で 【国語、英語、社会】だけの点が 全国2位だったのを見て、
他のクラスからも見学にきましたし、
自分がいたクラスでは そうとう
「えええ?!カタヤマさんが・・・(当時の私の苗字)」
と、みなさんに絶句されたのでした。
それが 高校3年生の11月のことでした。
そして、次回の12月の模試では、なんと
国語100点、英語100点、世界史100点のパーフェクト自己採点で、
「やった、これで名目ともに全国1位だ」
と 感慨深くおりましたら、なんと
マークシートの「世界史」というところを
「日本史」
と 間違えてマークしておりまして、世界史が総崩れ。
そして、全国1位の夢は、つぶれたのでした。
めでたし、めでたし・・・
(こんなところにADHDが出ております)
これ、本当の話ですよ。
1980年の進研模試の結果を持っているおかたがいらっしゃいましたら、
「私立文系」(国語、英語、社会のテスト)
の 成績優秀者リストをごらんくださいね。
全国2位のところに「カタヤママスミ、上智大学志望」
が
おります。
大阪気功整体 太田マスミ masumiota313@@gmail.com @を1つに
24/08/21
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気功整体とは まったく関係ないのですが、きのうの記事、反響が大きかったです笑
「なんじゃそりゃ!?」
ですよね。
「進研模試 全国2位で、宿題するのがイヤだったとか、日本史をやったことがないとか
なんですか!?」
まあ、反対に
「目からウロコでした!
私も、そうしていれば 成績があがったのに!!」
という声も、いただいております。
ちょっと調子にのりまして、シリーズで書いてまいりますね♪
本業の気功整体とは関係ない、と書きましたが、根本の姿勢は同じ、なのかもしれないです。
つまり、目的、があるのです。
その目的にそって、できることをすべて やるのです。
余計なことは、いっさい、しません。
たとえば、私の気功の目的は、
「人間が自分たちで、自分たちの体を整えることができるようにする。
不調の原因もわかるし、どうしたら治るのか対処法もわかる、そういう状態にもっていきたい。
さらには、体にいい製品、日常品とかからだを治すものとか、治す体操とかを発見して広めたい」
ということです。
今までの方法で、これができているものを最初に研究しまして、
どうやら できていないようだ、と思いましたら
その ギャップをうめるために 研究しました。
(途上です)
さて、話を勉強に戻しますが、
要は、試験ができればいい、という目標を立てます。
勉強したいのではないですし、少しでも知識を深めたい、のでもないです。
試験ができるようになる、ということが目標です。
そのためには、当然ですが、過去の試験問題を研究します。
また、どういうものが出るのか、も 研究します。
このゴールは、ぜったい 外せません。
私の学生時代は特殊な時代で、岡山県の高校入試は、英語と国語と数学、しかなかったのです。
(今は五教科、あります)
ですので、英語と国語と数学、しか やりませんでした。
社会と理科は、一夜漬け以外、勉強したことがないです。
〇おそらく、私は、小学校で習う 県名、県庁所在地、山や川の名前、は、あまり知りません。
まあ、今の時代、グーグルがありますので、知っていなくても不自由はないです。
ゴールである当時の岡山県の入試問題を中学校1年生でみました。
「うわ・・・こんなにできるようにならなくては いけないのだな」
国語は 一夜にしてできませんので、
作戦をたてました。
「1日か2日に一冊、本を読もう」
結局は、1週間に1冊、のペースになりましたが、読みました。
英語は、NHKの英会話を聴きました。
数学は、塾へ行きました。
それで、中学校3年生のときに、入りたかった高校の校門前で写真を撮り、
イメトレしましたら、入れました。
^^^^
高校では、入学してまもなく、
ゴールを「上智大学」に決めました。
おそらく前世からのご縁で、キリスト教の大学でザビエルが始めた、ということが気に入ったのでした。
当時、わたしは岡山朝日高校で 高校内で50位くらいでした。
「これでは、とうてい 入れないぞ」
1977年当時の上智大学は、偏差値がものすごく高く、
地方の公立高校の生徒は ほとんど入れていない、ということが判明しました。
入試は 国語、英語、と、世界史か日本史のどちらか、です。
私は中学校時代、日本史はほとんど やっていませんので、
どうせでしたら、まったく初めての世界史にしよう、
そうすれば 土台がなくても大丈夫、と思ったのでした。
また、作戦を立てまして、
〇日本語(国語)の本を1週間に1冊読むのは継続する
〇簡単な英語の本を 2週間に1冊、読む
〇英単語を、片っぱしから覚える
〇世界史は、習ったことはその日のうちに完全に覚えてしまう
ということに、しました。
要は、試験というのは、〇〇について、知っているか?
ということを聞かれますので、
世界史の全体的な流れであるとか、
このとき、こんなことがあったので世界史が動いた、とかいったことは
別に、どうでもよくて
何年に誰が何をしたか
ということだけを、覚えるようにしました。
きのう申しましたように、シャレにしまして、物語にしまして、覚えたのです。
そうしましたら、2年もしましたら、かなり
成績が上がってきたのでした。
(高校2年生のときです)
と、申しましても、私は 【国語、社会、英語】以外の教科は
一夜漬け以外、やりませんでしたので、
数学、理科(物理、化学、生物)、などは、ほどんど毎回、0点とかヒトケタでした。
全体的な通知表は、あまり良くなかったのでした。
しかし、岡山朝日高校は、当時まだ、バンカラな校風が残っていまして、
勉強は、したい人がすればいい
とか
中間、期末試験はものすごく難しくして、平均点が20点
とかいいます
不思議なことがありましたので、
自分が0点とか9点、くらいでも
そんなに目立たなく、補講もめったに受けなくて良かったのでした(これが、非常にさいわいしました)
高校3年生になり、いよいよ【国語、英語、社会(日本史か世界史のどちらか)】だけで
成績がつくようになりましたら、
なんと、
自分の実力はトップクラスになっていた、ということが判明しました!
私は、みんなから「あの人、アホだよ」と思われていました(数学の時間、わかりません、わかりませんばかり言っていたので)
ので、
進研模試で 【国語、英語、社会】だけの点が 全国2位だったのを見て、
他のクラスからも見学にきましたし、
自分がいたクラスでは そうとう
「えええ?!カタヤマさんが・・・(当時の私の苗字)」
と、みなさんに絶句されたのでした。
それが 高校3年生の11月のことでした。
そして、次回の12月の模試では、なんと
国語100点、英語100点、世界史100点のパーフェクト自己採点で、
「やった、これで名目ともに全国1位だ」
と 感慨深くおりましたら、なんと
マークシートの「世界史」というところを
「日本史」
と 間違えてマークしておりまして、世界史が総崩れ。
そして、全国1位の夢は、つぶれたのでした。
めでたし、めでたし・・・
(こんなところにADHDが出ております)
これ、本当の話ですよ。
1980年の進研模試の結果を持っているおかたがいらっしゃいましたら、
「私立文系」(国語、英語、社会のテスト)
の 成績優秀者リストをごらんくださいね。
全国2位のところに「カタヤママスミ、上智大学志望」
が
おります。
大阪気功整体 太田マスミ masumiota313@@gmail.com @を1つに
住所 〒530-0041 大阪府大阪市北区天神橋2-3-10 607
営業時間 11:00~18:00(最終受付)※完全予約制